良いお母さんが良い子を作るとは限らない。
我が家の子供も大きくなった。20歳、18歳、17歳、8歳と4人の息子たち。
別に勉強がとびきりできるわけではないけれど、上の二人は自分の行きたい大学に進学し、まぁいい感じに自己肯定感の高い子に育った。
何をもっていい感じかというと、アルバイト先で2人とも社員の方に頼りにされているらしく、下の息子にはそのバイト先からインターンに来ないかと誘われるほど。
「まぁ勘違いも一つの才能やしね。」と私が言うと「いやいや。世間が認めてくれているから」と2人して口をそろえて言う。
「そんな息子に育てたお母さんが偉いよね!」というと、みんなでまたもや口をそろえて「いやいや。育てられてません。自分で育ったし。」と口々に言う。
このセリフを聞いたときに私は心の中でガッツポーズをした。
親としてなにかをしたことを感謝してほしいと思ったことはない。
自分の人生を自分の力で切り開いてほしい。なんでも主体的に物事をとらえてほしい。
自分の人生の主人公は自分なのだということを感じてほしい。そう思ってきたし、実際私もそのように過ごしていろんなことに挑戦してきた。
他のお母さんがまめにやっていることをさぼった感もぬぐえない。離婚という子供にはとても寂しい別れも経験させてしまった。
世の中の「お母さん」像からしたら、落第点のお母さんだったと思う。
それでも、他のお母さんがやらないようなことをやってきた。ワークショップを主催し息子の友達とともに遊んだり、私の音楽教室の発表会で息子がドラムを叩いて親子共演したり、仕事で得た進学の情報を持ってアドバイスしたり、ITに詳しくなろうと、SNSにしっかりコミットしてSNSの正しい使い方を教えたり、学童保育を立ち上げたので、そこのお手伝いを子供たちにさせたり。
多分私の子供だから、味わえたことが多くあると思う。
それがよく出るか、悪く出るかは分からなかったけれど、「自分で育ったし」というセリフのなかに「おれたちは俺たちの力で生きていける」という自信を育めたという確かな手ごたえを感じることができた。
私は、よくある「お母さんありがとう」という言葉はいらない。
親なんて捨てればいい。自分たちの力で自分たちの思うがままの道をすすめばいい。
いつでも私は息子を応援している。でも、応援団だけで終わらない。自分の人生もしっかり歩もうと思う。
私と息子は「同志」だと思っている。親だからとか子だからというのではなく、信頼できる「同志」
上三人に向かって「お母さんに「お母さん」を求めないでよ!」
というと、三男が「お母さん。そのセリフすごいな。」
「お母さんにお母さんを求めないで!BYお母さん」とつぶやいて二階に上がっていった。高校生の息子にはもう少しお母さんらしいことも必要かなと反省も・・・
自分の子育てを自慢することはできないけれど、私にとって4人は自慢の息子だということは胸を張って言える。良い子育ての方法なんていうものはないと思う。
世間の良いお母さん像に振り回されずに、自分の子供にとって何が必要かを試行錯誤することが母親としての醍醐味だと思う。
世間のお母さん像にしばられることなく、人と人として子供と向き合う。それが何より一番いい子育ての方法なんだと思う。