幸せについて考えた。
幸せは作れる。
この記事を読んだ。良記事だという人も多いが、私は違和感を感じた。
そして、私の思う幸せについて考えた。
幸せは作れる。
こんな当たり前なことを書いているところがおかしい。幸せな事柄が世の中に転がっていて、その事柄を追い求める。
「財産」「名誉」「沢山の友人」があっても満たされず不幸だと感じている人もいるだろう。反対に、何もなくても衣食住が満たされていれば幸せだと思う人もいる。
幸せな事なんて転がっていなくて、幸せを感じる心があるかどうかだと思う。
幸せ度チェックをしてみよう。
では、自分が幸せかどうかをどうやってチェックするか。
私は自分にとって不幸だと思うことを10挙げてみた。
・・・・
少し書いてみたが、書くだけでその不幸がやってきそうで怖くなったので、ここに書くことはやめておく。
自分にとって起こって欲しくない事は、書くだけでも恐ろしい。
10挙げた中で、5つ以上当てはまれば「私は不幸だ!!」と思っていい。
そして、5つ以上あれば誰かに助けを求めたほうがいい。
友人でも、親戚でも、行政でも。
不幸な出来事を解決する方向に動くことが大切だ。
不幸リストのチェックが4つ以下ならまだまだ幸せだということ。
では、あなたにとって幸せだと感じたエピソードは?
10挙げてみた。
「おいしいものを食べた時」
「子供の手の暖かさを感じた時」
「友人の気遣いに感謝したとき」
「人と笑い合えた時」
「人に何かを頼まれた時」
「音楽を奏でているとき」
「音楽を聴いているとき」
「大きな魚が釣れた時」
「親の元気な顔が見れた時」
「温かい飲み物をのんでほっこりした時」
「自動販売機でアタリがでたとき」
こんな風に自分の幸せエピソードを思い出し、書き出すことで自分が幸せを感じる瞬間を思い出すだろう。
そして、その幸せエピソードが味わえる場所に行けばいい。
幸せは作れる。
そう。すぐにでも。お湯を沸かし美味しい紅茶を淹れて飲む。これだけで幸せ。
あとは、幸せな人なんていないと思う事。
羨ましい人はたくさんいるかもしれない。でも、その人たちもたくさんの憂鬱を抱えている。それを見ようとせず「幸せでいいね。」と自分の不幸を嘆くのは違うのではないか。
幸せは与えられるものではなく、自分で作るものだということを、忘れずいたい。